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2012年6月12日 (火)

「感情論」万歳!

 中曽根氏や正力氏が暗躍した「原子力ムラ」創成期、「三度の被爆体験を持つ日本は、いかなる原子力利用にも関わるべきでない」と主張すれば、非科学的「感情論」だと、バッサリ切り捨てられていただろう。

 実際、「原子力の平和利用」という「科学的」トラップを仕掛けられたら、政治的立場の相違に関わらず、「インテリ層」は簡単に引っ掛かった。

 後知恵になってしまうが、第五福竜丸の記憶が生々しく残る時代の雰囲気の中で、「感情論」を中心に据えて運動を構築していたら、原発導入そのものは阻止出来なかったとしても、地震列島に54基もの原発を建設させる、事実上のフリーハンドを与えることは無かったのではないか?

 全ての事象を、科学的かつ慎重に捉えようとする態度は、それ自体、決して間違いでは無いが、状況判断を違えると、「運動」を混乱、迷走に導く場合がある。

 小出先生が多くの人に支持されるのは、彼自身の難解な研究成果を、万人が理解したからではなく、「原発を止めたい」という執念から絞り出される、単純だが重い意味を持つ言葉が、人々の心の琴線に触れるからだ。

 「対案を提示しよう」「我々も理論武装をしよう」それらを苦もなく出来る人は、「初心を見失わない」程度に、それぞれ追求すればいい。そういうことはちょっと苦手で…という人も、現在自分が感じている、怒り、矛盾、悲しみ、等をストレートに表現し、行動に反映させれば、何も恥じることは無い。

 「科学的反論」と「感情的反発」その二つが「運動」総体として、バランスが取れていれば、特に軌道修正する様な問題は無いはずだ。

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