フォト
無料ブログはココログ

2014年11月 6日 (木)

そもそも「避難計画」など作れない

 鹿児島県議会では、明日(11月7日)にも「川内原発再稼働賛成陳情」が決議されようとしている。知事はこれを議会(県民)のゴーサインと強引に解釈し再稼働容認を表明をするつもりだ。
 
 一方で、地震及び火山噴火に対する九州電力の想定が甘いとの批判は日を追って大きくなっている。理にかなった懸念の声は知事や県議会にも届いているはずだ。日程を決めて多数決でゴリ押しするという安倍内閣の様な対応は厳に慎むべきと最初に警告しておく。

 また、今回は「世界で一番厳しい新基準」なるものに適合するかどうか、原子力規制委員会が判断した初のケースとなった。それは各電力会社から(新基準の運用が)厳しすぎると指摘されていた委員を更迭した上での決定でもあった。

 そういった経過も川内原発再稼働の「正当性」を大きく損なうものであるが、規制委員会の審査には更なる構造的欠陥がある。それは当該の原子力施設と立地周辺地域を故意に分断する姿勢だ。具体的には「避難計画」の妥当性が全く考慮されず、周辺自治体に丸投げされている点に表れている。

 そもそも過酷事故が発生した場合、全ての周辺住民が放射能の被害に曝される事なく「安心安全」に避難できる計画など作成しようがない。だから規制委員会は開き直っているのだ。審査項目に入れてしまったら稼働させられる原発は一基も無くなる。予想通りこの「機関」は原発推進勢力だった。

 もちろん運転されていない原発でも、燃料棒がそこにある限り過酷事故を想定しておく必要はある。その意味では限りなく現実的な「避難計画」なら、むしろ積極的に策定すべきだ。

 避難困難者をどうするのか?家族が集合する前に避難せざるを得ない時はどうするのか?車での避難はどこまで規制するのか?大量輸送手段は迅速かつ十分に調達できるのか?全住民参加型の避難訓練を積み重ねて検証しなければ、現実的な計画は作成できないだろう。

 また、被害が各自治体間に股がって広がる事を考慮すれば、これは県単位の仕事となる。しかし寡聞にしてそのような努力が、鹿児島県主導で行われたとは報じられていない。「現実的な避難計画」が策定されていない以上、再稼働を容認する姿勢を公にするのは控えめに言っても時期尚早だ。

2012年9月25日 (火)

白票が第一党

 来るべき総選挙で、どこも投票するところが無い。もう誰にも騙されたくないという人は、「よりマシなのは…」と哲学的に考える前に、堂々と白票を投じて、現在の国会内で行われている「政党政治」に不信任を突きつけよう。棄権は消極的な現状追認だが、「白票」は意味のある抗議行動だ。

 無党派が事実上の第一党なら、「白票」が第一党になる可能性は大いにある。どんなに国民の生活や共産・社民が束になっても、これらの政党で過半数を占められる程、日本の民主主義は成熟していない。それならば、まずはこの間の政治に不信感をストレートに突きつけ、「政治家」たちに衝撃を与える事が肝要。

 「白票」が増えれば「既成政党」が有利になるのは明白だが、「白票が第一党」ならば、どんな議会構成も意味を成さない。予算編成はもちろん、条約の批准さえ手をつけてはならない。「選挙管理内閣」 を選出したら、各会派が膝付き合わせて、どうしたら国民が許してくれるのか?議論すべし。

 憲政史上、類を見ないくらい真剣に議論し、原発・エネルギー政策の本当の意味での見直し、消費税増税法の白紙撤回、国民本位の貿易政策の確約、等々で共通認識が醸成されたら、もう一度、解散総選挙を行うことを許す。しかし、そこでも国民置き去りの堂々巡りを繰り返すようなら、「臨時国民政府」を検討せざるを得ない。

 そのように過激な「無政府主義」に、国民が走らざるを得ない状況を作り出さない為にも、各政党は今から信頼回復の努力を示さなければならないが、民主・自民の党首選びを見る限り、全く期待は出来ない。やはり「白票が第一党」を、一度突きつけるしかない。

2012年7月13日 (金)

警察が警備方針を変えた7月13日(金)の朝に思うこと

 本日は晴天を望めずと予測する。しかし、私は最低限「霞が関」までは出かけるだろう。そこから、窮屈で蒸し暑く、終いには「法」を犯さねばならない #官邸前 へと向かうか、終始「合法的」で「自由闊達」な #経産省・保安院前 の抗議活動への参加に留めるかは、その時の気分次第だ。

 参加しないかもしれない集会に注文を付けるのは、卑怯者の誹りを免れないだろうが、私の様な者が批判されたところで、運動には何の影響も無い。開き直って「提言」する。主催者及び関係者は、ここ数回の抗議活動の様に、車道へ「戦線」を拡げざるを得ない時には、その隊列の先頭に立つべし。

 一般参加者の先頭部分と、警察による「ピケ」を接触させてはならない。その間に入って「緩衝材」の役割を果たせ。その時、どっちの方向を向くかは、「存念」と「柵」があるのだろうから、それに従えばいい。ともかく、一般参加者だけに「道路交通法」違反のリスクを負わせるな。

 それこそ、警察の思う壷だ。主催者幹部の「一斉検挙」に繋がる。そう懸念する声も挙がるだろう。今まで恫喝と柔和な対応を巧みに使い分け、結果として主催者を「懐柔」してきた「権力」が、一気に牙を剥く瞬間かもしれない。一般参加者50人程度の検挙とは、比べ物にならないダメージだ。

 それでも、そういうリスクを犯しても、隊列(デモ)の先頭に立つべきだ。自分たちが取り仕切らなければ、警察の思う様にされる。参加者が千人に充たない時から、そういう決意と覚悟で、今まで臨んできたのであろう。その事には、多少の不快感を感じながらも、個人的には敬意を表してきた。

 しかし、全幅の信頼を置くまでには至っていない。私と同じ思いを抱いている人も少なくないだろう。それを払拭する為にも、今回は先頭に立って欲しい。自分達の身に何があろうと、その背後には、「運動」を継続させてくれるであろう(潜在的参加者も含め)数十万の隊列が続いている。

 そう思えてこそ、今まで主にSNSを通じてしか繋がれなかった(それ故、誤解や邪推を生んだ)群衆と一体になれる。私は何も自ら望んで検挙されよと、言っているのではない。むしろ、そのような事を絶対許さない為、当日の朝に、この文章を書いている。「赤誠」組み取ってもらえれば幸いである。

2012年6月12日 (火)

「感情論」万歳!

 中曽根氏や正力氏が暗躍した「原子力ムラ」創成期、「三度の被爆体験を持つ日本は、いかなる原子力利用にも関わるべきでない」と主張すれば、非科学的「感情論」だと、バッサリ切り捨てられていただろう。

 実際、「原子力の平和利用」という「科学的」トラップを仕掛けられたら、政治的立場の相違に関わらず、「インテリ層」は簡単に引っ掛かった。

 後知恵になってしまうが、第五福竜丸の記憶が生々しく残る時代の雰囲気の中で、「感情論」を中心に据えて運動を構築していたら、原発導入そのものは阻止出来なかったとしても、地震列島に54基もの原発を建設させる、事実上のフリーハンドを与えることは無かったのではないか?

 全ての事象を、科学的かつ慎重に捉えようとする態度は、それ自体、決して間違いでは無いが、状況判断を違えると、「運動」を混乱、迷走に導く場合がある。

 小出先生が多くの人に支持されるのは、彼自身の難解な研究成果を、万人が理解したからではなく、「原発を止めたい」という執念から絞り出される、単純だが重い意味を持つ言葉が、人々の心の琴線に触れるからだ。

 「対案を提示しよう」「我々も理論武装をしよう」それらを苦もなく出来る人は、「初心を見失わない」程度に、それぞれ追求すればいい。そういうことはちょっと苦手で…という人も、現在自分が感じている、怒り、矛盾、悲しみ、等をストレートに表現し、行動に反映させれば、何も恥じることは無い。

 「科学的反論」と「感情的反発」その二つが「運動」総体として、バランスが取れていれば、特に軌道修正する様な問題は無いはずだ。

2012年3月23日 (金)

平地の「雪山」と「がれき」

 雪国で育った人なら、分かってもらえると思うが、「除雪」には「集雪場」というものが付き物で、実家の近くにも小学校のグラウンド三つ分程のものがある。
 そのくらいの広さに、各地から集められた雪が積み上げられていくわけだが、今年のような「豪雪」だと、最盛期で10mを超える雪の「山岳地帯」が生まれる。
 春が近づくにつれ、街中では徐々に雪が減っていき、世界に誇る豪雪都市「青森」でも、それぞれの入学式までには、ほぼ雪が無くなっている。
 しかし、既出の「集雪場」では黒く汚れた雪の山が依然として残っている。周囲の景観とは異質なものに写るが、地元の人間で「あれでは春が来た気がしないから、早く溶かしてしまえ」等と宣うバカはいない。(順調であれば連休前までに無くなる)

K10039104511_1203230524_1203230525_

 今朝早く(3/23)宮城県岩沼市で、内陸に500世帯が集団移転する計画が出来た。というニュースが流れた。余計な事は言わないようにしていたが、津波被害の甚大な各所は、そうせざるを得ないだろう。
 ならば「人が住めなくなった」所に、がれきの仮置き場が残っていても問題無い筈である。しかし、早く片付けろと言って聞かないのは、地元の人間ではなく、都会の「偉い人たち」なのだ。
 この状況に胡散臭さを感じない人は、大袈裟な話、これから生きていけない。

2012年2月22日 (水)

光市母子殺害事件の顛末について思うこと

 複数のSNSで抽象的にこの話題に触れてきたが、言いたい事があるならハッキリ表明しないと、まず自分の精神状態が安定しない。究極の自己中心的「駄文」をこれから垂れ流す。

 犯行当時少年であった被告(もう死刑囚と呼んでいいのかな?)彼については一点の事しか興味が無い。犯行途中、乳児に手をかけようとした時の「心情」だ。報道等では、うるさく泣いていたから…と伝えられているが、証言能力のあろう筈がない乳児を「うるさい」という理由だけで殺害できるものだろうか?そこに、少しの逡巡も無かったのだろうか?それらが裁判を通じて本当に明らかにされたのかという点である。

 計画性の乏しい衝動的な犯行である為「(犯行時の感情の起伏は)覚えていない」のが普通だろう。だが、それを思い出させるのが裁判の大きな役割だと信じる。そもそも、それ以前の残虐行為に及んでいる時、泣き止まない乳児の声を不審に思い、近隣の人が駆けつける事を事実上警戒しなかった。それならば「うるさい」というのは理由にならない。

 だから被告には、乳児の体に手をかけて独特の温もりを感じた時、何もしなくても壊れそうな未完成な体を抱き上げた時の感触、時間にしてどれくらいかは想像もつかないが、コマ送りのように瞬間、瞬間を思い出す義務がある。そしてその時々に対応した感情の揺れを、自分自身の深層心理の中から抉り出す努力をする必要がある。

 検察、裁判官、そして「被害者参加人等による被告人質問」という「武器」を手に入れた本村氏は、その為に助力したのか?大人は手で首を絞めたのに、乳児は紐で絞めた。この違いの本質を被告に気づかせられたのか?大いに疑問である。

 そして、巷では死刑制度についての賛否だけが独り歩きをして論じられている。冒頭に記すべきだったが、筆者は問答無用の死刑廃止論者である。だからと言って被告を擁護するつもりはさらさら無い。問題なのは、罪の軽重では無く、被告自身の心の闇を浮かび上がらせ、それと向き合い、それと闘わせる機会を与えるかどうかである。

 その事は、或いは「死刑」よりも残酷な行為かも知れない。それを強要する事によって被告の精神状態が、いよいよ破綻するかも知れない。しかしそれを避けて通れば、日本の司法は「裁判員制度」の導入と相まって、ますます被害者側の「心情」を慮るだけの機関に堕していくだろう。

「せめて子供だけでも…」その問いかけに「答え」は必要ないのか?

2011年12月 6日 (火)

リコールか?避難か?

 福島県は、東日本大震災被災者向けの「民間賃貸住宅借り上げ制度」を、全国の都道府県に対し、今月末で同制度の新規受け入れを打ち切るよう要請するための手続きに入り始めている。以下はその理由だそうだ。

 (1)災害救助法に基づく緊急措置で、恒常的な施策でない(2)避難先の自治体から「期限 について一定の目安が必要」と指摘があった(3)東京電力福島第1原発の「ステップ2」(冷温停止状態)が、政府の工程表通りに年内達成が見込まれる-(毎日新聞 2011年12月2日Web版より引用)

 ひどい仕打ちである。これにより自主避難の道が全く閉ざされたわけではないが、唯一と言っていい国の補助がある制度を、福島県だけの判断で打ち切り。震災直後から続く福島県政の迷走ぶり、ここに極まれりといった感である。

 そもそもあの3月、目の前で水素爆発と(限定的)核爆発が起こっているのに、県知事は一定期間の「屋内退避」すら指示しなかった。原発立地県の知事として最悪の対応である。その時点で知事としての資格が無いと言わざるを得ないが、リコール請求出来る時期でもなかったし、住民側もそれどころではなかっただろう。

 それにしても、放射性ヨウ素が大気中にウヨウヨしていた危険な時間帯には、「家に帰れ」と言わなかったくせに、今さら「家(県)から出るな」と言うのか。ご都合主義もいいかげんにして欲しい。

 更に要請文(案)で、東電のデタラメ工程表に記載されているに過ぎない「原子力ムラ用語」の「冷温停止(状態)」にも言及している。知事は県民向けに、原発と距離を置く姿勢を見せているようだが、東電と経産省、細野原発事故担当相が描く「夢のプログラム」をそのまま是認するのなら、ダブルスタンダードもいいところだ。

 「リコールか?避難か?」制度上は11月12日から、県知事のリコールを求める住民請求が可能になっている。時節柄、11月中に前記のスローガンを掲げ、子ども中心のデモを組織すれば(現実問題としては空間線量が深刻で、間違ってもそんな真似はさせられないが)かなりのインパクトを与え、辞職要求運動も良いスタートを切れただろう。

 しかし12月を迎えた現在、諸問題を抱えた現地の住民達は、身動きがとれなくなっている様に見受けられる。それも無理からぬだろう。事故発生から約9ヶ月、上からも下からも放射能に晒され続けるとは、県外の我々も想像つかなかった。県や知事がどれだけ憎くても、容易に運動を盛り上げられる状況には無いかもしれない。

 それと、知事を変えたからといって全ての問題が解決するわけでもない。だからと言って座していれば…。やはり、県民自身が大きなアクションを起こさなければ、やられっぱなしで「逃げる」ことさえ出来なくなる。知事解職要求はひとつの手段だ。

 大人の間だけでもいい「リコールか?避難か?リコールか?避難か?」季節外れの感は否めないが、合言葉にして欲しい。

2011年9月15日 (木)

熱中症と労働組合と「Twitter護民官」

 今日は体調・気分がすぐれない。こういう日は「無用な物議」を巻き起こさないためにも、SNS等から離れた方が賢明なのだが、一方で抗鬱剤を服用しているので「頭(脳)」だけは常に意気軒昂だ。何人も脳の命令には逆らえない。自然と指が動いてしまう。

 まずは、昨日以来頻発している「熱中症」だ。確かに想定外の暑さではあるが、そこには現在の学校教育の「硬直性」が垣間見える。大人が「こりゃタマラン」と思うほどなら、少なくとも日中の屋外活動は、予定を変更すべきである。

 臨機応変、柔軟性。すでにスタンドアロンの「官僚機構」と化した教育現場から消え去った考え方だ。または、そういうシステムでは、そういう発想が生まれてこないと言った方が妥当かもしれない。この姿勢が福島県を中心とした教育現場の、初期の消極的な放射能対策に現れてしまった。

 悲劇という他無い。絶対権力の校長と教育委員会に「物言わぬ」教師集団。一番子供たちの近くにいながら、子供たちの為に声を上げることができない。確かに緊急避難的な除染は行われた。しかし今も絶対的に有効な対策は、学校毎の集団疎開以外に無い。

 ここで関連性の薄い話題を突然挿入するが、民主党政権なっても、例の「新しい教科書をつくる会」亜流の教科書採択率が上がっているそうである。で、何が言いたいかというと、野党的でも与党的でも「日教組は糞の役にも立たん」ということである。

 今現在はHPを改訂してその証拠を消しさっているようだが、3〜4月の時点では、文部省の悪魔のような通達の数々を、リンク集と称して独自のコーナーにまとめていた。所謂「20mSv問題」の通達も然りである。

 9月19日の大集会を前にして、特定の団体を過去に遡って非難したくはない。非難したくはないが、あまりの学習能力のなさに、ついつい筆が滑ってしまう。しかし振り上げた拳は下ろせない。もう一団体、私の毒牙にかかってもらおう。
 
 いきなりだが、「横浜市従」(横浜市従業員労働組合)は何をしている? http://www.siju.or.jp/

 昨日、林横浜市長は南本牧に放射性廃棄物を投棄することの「延期」を発表した。企みが露見した9月13日、急遽横浜市庁舎に駆けつけた市民(&山本太郎氏)、被害を被ると予想される各団体に(横浜市の代わりに)電話等で危険性を知らせた人たち、あるいは直接、電話FAX等で抗議を伝えた人たちの勝利である。それらの人の多くはTwitterで連携を取りながら行動した。大袈裟でも何でも無く今や「Twitter護民官」とも言うべき存在である。

 一方、一番行政情報に近いはずの労働組合「横浜市従」は何をしていたのだろう?HPで確認する限り内向きの原発学習会は開催しているようである。しかし機動力と動員力が求められる、先日のような行動の「情報発信源」と「司令塔」には成り得なかった。猛省を促したい。組合旗を持って集会に参加するだけが「運動」ではないのである。

 (尚、ブログを書き上げた後、電話で確認したところ「どちらの立場に立つか態度を決めかねている」とのこと。なんとなく汚染瓦礫と勘違いしているような印象も受けたが、燃やしてしまえばいずれ同じこと。大きく失望した)

2011年9月11日 (日)

汚いというより大人気ない「アルタ前フォーメーション」

 暑い中新宿まで行ってきた。僕が午後1時頃、東口に着いた時は、これが日曜日の新宿か?と思うくらい人通りが少なかったが、それより何よりアルタ前の両車線に、装甲車が確認しただけで7台止まっていたのには驚いた。今日は何百人検挙するつもりなんだろう?と一瞬戦慄が走ったが、アルタ側からも公園側からも向こうが見渡せない状況を作ろうと、警察が作った「布陣」だったのだ。

 大人気ない。若者たちが多少政治的なメッセージが含まれるかもしれないが、自由に自分達の主張を表現しようとするのを、事前にセコイ手を使って(Twitterで噂になっていた季節外れの「雪囲い」も確認した)妨害しようとする。「それが警察さ」と言ってしまえばそれまでだが、余りにも卑劣で、何度でも言うが「大人気ない」。

 石原都政下警視庁の若者への「弾圧」、この夏の終わりに胸に刻んでおこう。
 
 それから余談になるが、今日は何故か自分の周りに警察官が集結してきた。一回目は「歩行者の邪魔になるのでどきなさい!」と威圧してきた時に、道路沿いにある花壇の縁(高さ70センチくらいかな?)に登って妨害の意図など無いと、上からがなり立てる「新宿署署長」にアピールした時だ。2〜3分もしたら14〜5人の若い巡査たちが、二列縦隊で俺の前に並び始めた。

 特に何をするわけでもなく黙って下を向いているので、どんな観客の前でもエンターテイメント魂を忘れない僕が「おっ!俺の歌が聞きたいか?なんかリスエストある?」と呼びかけるが無表情のまま。その姿に幾ばくかの哀れみを感じたので「あなた達もこの暑い中大変だねえ。休みの日なんだからデートするか家で涼んでいたいでしょ」「それがこんなデモの警備に回されるなんて最悪だよねえ」と漫談風コミニュケーションを始めた。

 すると年配の「私服」(警官)が自分の任務も忘れ血相を変えて、「ルール違反だから、そこから降りなさい」と巡査達の後ろから「注意」をしてきた。「ルール違反?さっき邪魔だからどけって言われたから、この狭いところに乗っかってんだけど」と返したら今度は「危ないから降りなさい」。「ルール違反、危ないから、どっちなんですか?」と改めて聞くと「危ないからじゃ」と関西訛りではき捨てるように言い、こちらに近づいてきた。潮時かなと思い「これはご心配いただいてありがとうございます」とお礼を言って降りた。向こうは、こっちが素直に降りたのでバツが悪そうにクルッと向きを変えてブツブツ言いながら遠ざかっていった。<警察とのコミニュケーション1>

 もう一つは熱中症対策のため水分補給をしていると(確かに警察車両の近くだったが)背広姿の管理官風の男が俺の近くに来た。すると主に「私服」が三々五々集まってきて、路上で「作戦会議」を始めたのだ。僕の真後ろにも「私服」が二人いたので動くに動けず、仕方ないので、関心なさそうにあさっての方向を向きながらペットボトルの水を飲みつつ、耳を峙てた。

 以下は発言主が誰かはわからないが、聞こえてきた会話である。
「やっぱり車(装甲車)を配置したのは成功だったな」(これが一番ムカついた)「日比谷(経産省行動?)の方はどうなってる?」「1,500人くらい集まってる模様です」「それで、こっち(新宿)は?」「500~600人じゃないですかね」(そんなはずねえだろ)「福島(社民党党首)は来るのか?」「どうですかねえ街宣車は来てましたけど」「笠井(日本共産党衆議院議員)は私服で来てましたよ」「バッジをつけていようがいまいが相手は(共産党の)国会議員だ。ちゃんと見張ってろ」…

 ペットボトルの水を飲み干し、それを捨てるようなふりをして、その場を去ったから怪しまれるような事はなかったけど、まさかブロクにアップされているとは夢にも思っていないだろうなあ。ここにも危機管理能力に欠けた連中の間抜けな姿が。<警察との(一方的)コミニュケーション2>

2011年8月25日 (木)

国汚れても山河あり

 「故郷の山野を大事にしたい」自分も田舎者なので歳を重ねるごとに、そんな気持ちが強くなってきた。だが、福島の浜通り、とりわけ原発近くにお住まいであった方々は、そんなセンチメンタルな気持ちよりも、現実的に一刻も早く「故郷」に戻りたいだろう。

 しかしこれからは、ある意味かつてのユダヤ人のような覚悟が必要だ。画期的で完璧な除染技術が開発されるまでは、いつか必ず戻るという強い気持ちを持ちつつも、何処かに腰を落ち着けるしかない。これ以上、政府の甘い言葉や希望的観測に翻弄されるのは拒否しよう。今はきちんとしたコミニュティを整備、提供させることの方が肝要。現実は直視せざるを得ない。

 明治維新直後の「会津(斗南)藩の悲劇」は悲劇で終わらない。多くの人が戻ってきたではないか。今度もそれを再現しよう。たとえ何十年かかろうとも…

«医者は医者らしく